このブログ記事は EngineMaker界隈 Advent Calendar 2024 - Adventar の4日目の記事です。
一つ前の記事、2024年振り返りで、「成人発達理論」について引用しましたが、ちょうどいいタイミングでいいツイートがあったので追記してみます。
https://x.com/dqnner/status/1863341247664095463
靖国神社の奉仕清掃に参加していました。清掃の表の(目に見える)意味は、綺麗になることだが、裏の(目に目えない)意味は、自分の範囲が拡張するということである。 清掃したところを汚さされると、嫌な気分がし、綺麗になると気持ちいい。ということは清掃した場所が自分の一部である確率が高まり、この肉体に閉じ込められた小さな存在のみを自分と思うのではなく、自分の範囲が拡張されたということである。この延長線上に「目の前の相手を自分だと思う」世界があり、自分の範囲が一定以上拡張された状態であると、仏教で言うところの「増えもしない、減りもしない」世界、「生まれることも、滅することもない」世界が実現する。
単純に解釈すると、自分が手を加えたところは自分の縄張りとして認識するので、そこに誰かが手を加えると感情が動くということだと思います。これは結構汎用的に使える意識だと思います。
たとえば、自分のうちはそもそも縄張りなので、他人が入ると強烈に意識しますし、そこを褒められると自分が褒められるようにうれしくなるでしょう。
街なかの落書きはマーキングのようなもので、同じく他人の手が入ると意識させられます。割れ窓理論とか有名ですが、割れ窓を修復することが縄張りの上書きを意味するので、しつこく修復していると縄張りの権利が、落書きや窓を割った人から、修復者に移り結果として平和になるのではないでしょうか。
学校で教室の掃除をみんなでやったりするのも、集団で手を加えることで縄張りとして認識し、大切にする効果があるのだと思います。ただ、集団の数が多すぎると、さらにその集団の中での縄張り主張がはじまり、空間に何らかのマーキング(落書き、占有など)をすることで小さな縄張りができることには注意が必要そうです。
同じ領域を他人と共有することで共通エリアとして縄張りを意識できるようになるのが、家庭であったり、コミュニティであったりするのでしょう。
現代は、経済合理性のみに特化するために、掃除は地域住民ではなく業者に委託するとか、ネットの発達で普段縄張り主張しない人たちが入り込みゴミなどを残すことで、そこを縄張りと感じる地域住民が不満をあらわにすることがしばしばニュースになっていますが、縄張りとして認識しない人にとっては大事にする動機が働かないのでゴミを捨てたりするのは残念ながら当たり前といえそうです。ここで、縄張りから排除することは難しくなく、短期的には平和が訪れるので、漁港で釣りを禁止したり、公園で花火を禁止したり、「とりあえず禁止」をするところが全国的に多いですが、それだと、排除された人たちが来なくて平和な反面、地域としては衰えるだけになってしまいます。
排除ではなくて、縄張りのメンバーとして迎える方法を模索し、相手に伝えることで、多数の人の共有地として、縄張りの価値はあがるのだと思います。会員制の場所や、ディズニーランドなどの特定企業が運営している場所ではその場所のルールがあり、それに従うことで価値を高めていますが、それをいろんな場所で同じように集団としての縄張り意識を高めていけば、治安はよくなり、人が増えることで価値も高まることでしょう。「禁止するのではなくルールを作りそれを伝える」 のが大切なのかなと思います。
さらに広げるとそれは人間だけではなく、動物の縄張りに関しても同じだと思います。動物は縄張り主張で木に傷をつけたり、糞をしたりしていますが、その縄張りに配慮しつつ、共有地として水場を作ったり餌場を作ったりすることで、人と動物の縄張りの緩衝地帯とすることができるのではないでしょうか。人間は最強の動物なので、一方的に縄張り主張しすぎなのかなと、最近狩猟を始めたにわか猟師として感じています。
人も動物ももっとお互いの縄張りを尊重し合うことでよりよい社会や生態系が生まれていくのではないかと思いますが、文明偏重しすぎている人類はそういう本能的なところがわからなくなってきている気がします。
追記:
先日もくもく会(新宿で毎週日曜日に開催)に来てくれた人が以下の本を紹介してくれましたが、非常に難解なようで、この本の解説本も多数存在するようです。組織として固定せず柔軟に時代に対応していく的な話っぽかった(1ミリも読んでないので検討違いかも)のですが、組織全体が成人発達段階5を目指しているように感じたので、そんなことが本当に可能なのかも含めて、一度よんで見ようと思っていますが、ついでに紹介しておきます。正月とかにどうでしょうか。